仏教は今から2500年前、インドのお釈迦様によって開かれた教え(宗教)です。それが孫悟空のお話にもあるように中国へ伝わり、やがて日本に入ってきました。聖徳太子の時代です。
今では「葬祭仏教」等と言われる方もいますが、本当は日常生活に役立つ情報が一杯詰まったバイブルなんです。
ただ私が思うに、仏教の本質は学問や知識として知るのでは無くて、日常の様々な場面で、それを感じる事がより大切なことだと思うんです。こちらのブログでは、そんな日常感じる話しを書いています。
良かったら覗いてください。
ここでは仏教を悟られたお釈迦様と、浄土宗をお開きになった法然上人(ほうねんしょうにん)について書いています。
お釈迦様は紀元前5世紀ごろ現在のネパール国境付近、釈迦族の王子として誕生されました。父はカピラ城の城主浄飯王、母は摩耶夫人で、ゴーダマ・シッダールタと名づけられました。ゴーダマとは「最上の牛」を意味し、シッダールタとは「目的を達したもの」という意味です。
摩耶夫人は6本の牙を持つ白い象が、胎内に入る吉夢を見て懐妊され、4月8日出産の為、郷里に帰る途中で立ち寄ったルンビニー園で、沙羅双樹の花を手で取ろうとした際に、右脇からお生まれになったと伝えられております。そして、産まれるとすぐに、七歩歩まれ右手を天に左手を地に指差し「天上天下唯我独尊」と話したと伝えられております。現在では花の咲き誇る春に各地の寺院で、お釈迦さんのご生誕を祝う「花まつり」が執り行われております。
カピラ城の王子として何不自由なく成長していくお釈迦様であったが、幼少の頃より田畑の虫をついばむ鳥を見て、この世の無常を感じていたとされております。出家を決定付けたのが、四門出遊であるとされております。
ある時、カピラ城の東門から出ると老人に出会い、「免れることの出来ない老いの苦しみ」を知ります。
別の日に南門から出ると病人に出会い、「免れることの出来ない病の苦しみ」を知ります。また別の日には西門から出ると死者を運ぶ葬列に出会い、「免れることの出来ない死の苦しみ」を知ります。
そしてまた別の日に北門から出ると一人の出家沙門に出会い、生老病死の苦しみを超越し、世俗の汚れから離れた清らかな沙門の姿を見て出家を決意され、29歳にしてカピラ城を出て行かれました。
出家したお釈迦様は師を求め、数人のバラモン僧に師事するもそれぞれの境地に達したが、それが真の悟りではないことを覚り、独自の難行苦行に打ち込むこととなります。出家して約6年の月日が流れ厳しい修行に明け暮れる中、苦行は心身を消耗するだけで自身が抱えてきた「苦」を解決できないと悟り、難行苦行を捨てるのでした。
尼連禅河(にれんぜんが)という河で沐浴し、村娘スジャータから乳粥の施しを受け、気力体力の回復を図り菩提樹の下で、49日間にもおよぶ瞑想に入りました。
ついに12月8日早朝、明けの明星が輝く時、求めていた真理が体の中に流れ込み大悟を得て、35歳にして仏陀(真理を悟った人)となられました。
成道後は古代インドのマガダ国の首都王舎城付近を中心に、伝道生活を送りながら信者を増やし、やがて教団が形成されていきました。その後はガンジス川の中流地域にまで、自らの悟りを布教伝道に歩かれたと伝えられております。
人が亡くなるとお葬式をします。 インターネットや書籍でも、葬儀の意味合いや、由来等についてはいろいろ書いてありますので、そちらを参照してください。 最近では、大半の方が病院で亡くなります。 病院には大概、契約している葬儀社さんがおられます。 また田舎のほうでは寺や地域と契約している葬儀社さんがおられます。 何れにせよ葬儀屋さんがいろんな業務を代行してくれます。 それでも役所への届け出や親戚、知人への連絡、葬儀の内容の段取り等々・・・ さらに言えば、亡くなり前に『看病』や『看取り』で親族は身体の心もクタクタです。 だからこそ日頃から、葬儀について知っておく、調べておく必要があると思うのです。 特に重要なのは、自分のもしくは家族の弔いの作法をしてくれる【僧侶=和尚】の存在です。 何処かの寺の檀家さんであれば、その寺の住職が執り行いますが、そうでない場合は【顔も 知らない坊さんがやってきて葬儀をする】という事態になるわけですが、それでいいですか? 自分や家族を、言わばあの世、極楽へ送る僧侶が、何処の誰かも知らなくて(笑) 最近ではホームページやブログで自身の仏教感やメッセージを発信している和尚も沢山います。 駄目な坊さんばかりじゃないですから、是非自分の和尚「My和尚」を見つけてください。 ちなみに私は、こんな和尚です(笑) 長福寺へ葬儀・法事・月参り等を依頼される場合は、【長福寺について】をご欄下さい。
法事は亡くなった故人を偲ぶ供養の意味合いと、親族が集まる事で故人との縁を再確認する意味合いがあると思います。 とりわけ後者は重要な意味合いがあるように思います。
まず縁者が仲良く暮らすことが故人への何よりの供養です。 また祖先からの縁を繋ぐ、家を繋ぐという機能も果たしています。 例えば、子が授からなかった、何らかの理由で家が絶えた時等、親戚から養子や養女を迎えて後を継ぐなどして家を守ってきた歴史があります。 そのような視点で見ると、法事を務めるサイクルの意味合いが人の感情として理解できます。つまり、亡くなった翌年が一周忌、その翌年の2年後が三回忌です。
・6年後が7回忌。
・12年後が13回忌。
・16年後が17回忌。
と定期的に親族が集まるようになっています。 特に現代は、親、兄弟、親戚がそれぞれ遠方で暮らしていて普段は逢うことが無い社会構造だけに法事は大切な行事です。
宗旨・宗派に関わらず、お盆と彼岸は国民的な宗教行事です。
●お盆
お盆の語源は「盂蘭盆会」に帰するとされております。盂蘭盆経というお経の中に餓鬼道に堕ちた母を供養する説話が説かれております。
お釈迦さんの十大弟子の一人、目連尊者が先だった母を神通力を使って探してみると、餓鬼道に堕ちて変わり果てた姿の母を見つけました。喉を枯らし飢えに苦しむ母へ、水や食べ物を差し出すと母が口にする直前に、炎となってしまって、何も母の口に入りません。
そこでお釈迦さまに相談すると、「安居(あんご)の最終日に、多くの比丘(びく)へ食べ物を施せば、餓鬼道に堕ちた母もその功徳で救われるであろう」とお答えになりました。
目連は言われたとおりにすべての比丘に施したところ、その功徳によって母も渇きと飢えの苦しみから救われたと説かれております。
このような説話がもととなって、お盆には精霊棚を設けてお米と少量の水を混ぜ蓮の葉に乗せた「水の子」、蓮の葉に水を少し入れ、ミソハギを数本束ねて添えた「閼伽水(あかすい)」、そして季節の野菜や果物などを備え、ご先祖様を迎える行事となっております。地域や宗派によっては、7月にお盆を勤める地域や、8月に勤める地域がありますが、家に伝わるお盆の祀り方など、父母や祖父母から受け継ぎ、次の世代に伝えていくことも大事な私たちの役割であります。
●お彼岸
「暑さ寒さも彼岸まで」とは、昔の方の知恵ではございますが、お彼岸を境にして季節が移り変わっていくという環境を、実に端的に述べた名言であると思います。
春分の日・秋分の日をお中日として、その前後3日間を合わせた計7日間をお彼岸と呼んでおります。東から昇った太陽が真西へと沈んでいく。その沈みゆく夕陽の方角に、阿弥陀如来のまします極楽浄土へと思いを馳せる。先立たれたご先祖様や、やがていつかは自分も向かう方角であると心得て、お彼岸にお墓参りやお寺参りをするという風習が古くから伝えられております。
国民の祝日に関する法律には、春分の日を「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨とすると記され、秋分の日を「祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ」ことを趣旨とすると記されております。お彼岸を迎えるにあたっては、お墓参りやお寺参りはもちろんのこと、私たちを取り巻く環境や、自然、家族、他のいのちに関しても目を向けるきっかけといたしましょう。